経営層がAIを使わないと現場は動かない——「腹落ち」をどう作るか
「うちの若い社員はChatGPTを使いこなしていますよ。でも私は正直、何に使えばいいのか分からない」。ある中堅メーカーの社長から、そう聞いたことがあります。現場は既にAIを使い始めている。ですが、トップ自身は一歩も動いていない。実はこの状態こそが、AI活用が組織全体に広がらない最大の要因だという調査結果が、2026年7月に公表されました。この記事では、その調査データと私たちがFDEとして現場に入ってきた経験から、なぜ経営層のAI理解不足が組織を止めるのか、そして経営層自身がどう「腹落ち」を作ればよいのかを整理します。
「社長は反対していない。でも動いてもいない」という現場の声
先日、ある製造業のDX推進担当者とオンラインで話していたときのことです。「別に社長はAI導入に反対しているわけじゃないんです。ただ、自分では触らないし、方針も出さない。だから予算も体制も動かないんですよ」。この言葉を聞いて、私たちは思わず頷きました。似た話を、この一年で何度も聞いてきたからです。
現場の担当者はAIツールを個人で試し、便利さに気づいています。しかし、それを会社全体の仕組みに広げるには、予算配分・部署間の連携・データの扱い方といった、現場だけでは決められない判断が必要になります。この判断を下すのは経営層です。ところが、その経営層自身がAIに触れていないと、判断の材料も、判断する動機も生まれません。反対されているわけではないのに、進まない——これが、私たちが現場で最も多く目にする停滞のパターンです。

データが示す「トップが動かないと現場も動かない」という構造
この現場感を裏付ける調査結果があります。ITmediaが報じたラクスルの調査は、従業員2〜100人の中小企業の経営者・従業員300人を対象に、2026年5月29日〜6月1日に実施されたものです。それによると、代表・役員がAIを「全く使っていない」企業のうち、85.7%が「AI活用の方針も推進体制もない」と回答しました。一方、代表・役員が「積極的に活用している」企業では、この割合はわずか4.0%です。
数字を並べると、差は歴然としています。トップがAIに触れているかどうかで、組織としての方針・体制の有無が20倍以上変わるということです。同調査では、業務でAIを「積極的に活用している」人の割合は全体で31.0%でした。これに対し代表・役員に限ると27.2%とやや低く、「全く使っていない」割合は22.8%と他の職種より高くなっています。さらに「経営・経営企画」職で「AI活用の必要性を感じない」と回答した割合は45.3%に達しました。総務・庶務(22.6%)やIT・システム管理(18.9%)を大きく上回る数字です。つまり、意思決定に近い部署ほど、AIを自分の仕事として捉えていないということです。
正直に言えば、私たちもこの数字を最初に見たとき、少し意外に感じました。ITやシステム管理の担当者よりも、経営・経営企画層のほうが「AIの必要性を感じない」と答える割合が高い。現場に近いはずの部署よりも、意思決定に近い部署のほうが、AIを「自分ごと」として捉えていないのです。
なぜ経営層は「頭では理解」しても「腹落ち」しないのか
では、なぜ経営層は動かないのでしょうか。BrainPadのDOORS DXが指摘する分析が参考になります。同記事は、日本企業のマネジメント層が抱える壁として「経営層は『頭では理解』でも『腹落ち』していない」という状態を挙げています。研修や勉強会でAIの概念は説明されている。しかし、それが自分の会社の、自分の業務にどう関わるかまでは繋がっていない、という指摘です。
これは私たちの現場経験とも完全に一致します。経営層向けの説明会に何度も同席してきましたが、資料を見ながら「なるほど、そういう技術か」と頷く経営者は多くいます。ですが、会が終わった後に「では来週から何を始めますか」と聞くと、答えが出てこないことがほとんどです。理解と決断の間に、大きな溝があるのです。
誤解のないように言えば、これは経営者の能力の問題ではありません。むしろ、AIという技術が「触ってみないと自分ごとにならない」性質を持っていることが原因だと、私たちは考えています。売上や在庫といった経営指標は、数字を見るだけで判断ができます。ところがAIは、実際に自分の業務データを入れて、出てきた結果を見るまで、何ができるのかが実感として湧きません。説明を聞くだけでは、腹落ちが生まれない技術なのです。
経営層のAI理解不足が現場に生む「見えない機会損失」
この腹落ちの欠如は、単に「導入が遅れる」だけでは済みません。私たちがヒアリングで聞いてきた声を紹介します。あるシャッター・建材メーカーの工場長は、原価管理について「非常に大変」「今の仕組みだと難しい」「現実的に原価を追いきれない」と語っていました。この会社では、原価を正確に把握できる仕組みそのものは技術的に十分作れる状態にあります。ですが、経営層がAI活用の方針を出していないため、部門を横断したデータ整備の予算がつかず、工場長は今も手作業での原価把握を続けています。
別の大手化学メーカーのAI推進担当者は「データはある程度揃ってきているが、そのデータを基に人がどう考え、どう動くかを定義・教育するのが難しい。マニュアルだけでは足りず、行間を読むような仕事をしている」と語っていました。この「行間を読む仕事」を仕組み化するには、部門を横断した投資判断が必要です。しかし当の経営層はAIに触れておらず、判断の優先度が上がりません。結果として、現場が個別に頑張って乗り越えるしかない状態が続きます。
こうした状態が半年、一年と続くと、優秀な現場担当者ほど「自分がいなくなったらどうなるのか」という不安を抱え始めます。これは私たちが受けるAI導入の相談の中でも、特に頻度の高い悩みです。属人化を生んでいる根本の一つが、実は経営層の意思決定の停滞にあるという構造は、あまり語られません。
関連記事: 製造業の技能継承をAIで仕組み化するでも触れましたが、現場の暗黙知が失われるスピードは、経営層の判断が遅れるスピードとほぼ比例します。つまり、現場だけを仕組み化しても、経営層の意思決定が動かない限り、属人化解消の効果は限定的だということです。
「説明」では動かない、「見せる」なら動く
ここまで「腹落ちしない」という課題を挙げてきましたが、私たちは打つ手がないと言いたいわけではありません。私たちがFDEとして現場に入るとき、最も効果があったのは「説明する」ことではなく「動くものを見せる」ことでした。
AI-Pathでは、商談の段階から実際に動くプロトタイプを作って持っていきます。構想を練っている間にも手を動かし、1日で動くプロトタイプを見せて議論する。これを重ねてきた結果、商談の成約率は9割を超えています。経営層に「AIとはこういうものです」と資料で説明しても、腹落ちは生まれません。ですが、自社の実際のデータを使って「こう動きます」と見せた瞬間、反応が変わります。ある経営者は、見積もり作業の一部をAIに任せる様子を見て「それができるようになると、もうすごい作業効率が上がります」と、その場で予算の話を切り出してきました。

なぜ「見せる」ことが効くのか。私たちは、AIが「触ってみないと自分ごとにならない」技術だからだと考えています。逆に言えば、経営層自身のデータで、経営層自身の目の前で動くものを見せれば、説明を何十枚積んでも届かなかった腹落ちが、数分で生まれることがあるということです。これは私たちにとっても、当初は想定外の発見でした。
FDEが最初に確認するのはツールではなく「社長の腹落ち度」
私たちがFDE(フォワードデプロイドエンジニア:顧客の現場に入り込んで開発するエンジニア)として新しい現場に入るとき、最初に確認するのはツールの選定でも、業務フローの整理でもありません。「経営層がAIをどう捉えているか」の一点です。
理由は単純です。ツールがどれだけ優れていても、経営層の腹落ちがなければ、導入後の予算も、部門を横断した協力も得られません。私たちの経験では、経営層の腹落ちが浅い状態でシステムだけを先に作ってしまうと、現場では動いていても「なぜこれをやっているのか」を説明できる人が誰もいない、という状態に陥りがちです。これは技術の失敗ではなく、順序の失敗です。
だからこそ私たちは、最初のヒアリングの場に経営層本人にも同席してもらうことを徹底しています。資料の説明ではなく、実際に手元のデータを使った小さなデモを見せる場にするのです。「これは自分たちの会社の話だ」という実感を持ってもらえるかどうかが、その後の工程の速度を大きく左右します。
経営層自身が最初に取るべき3つの一歩
ここまでの内容を踏まえ、経営層自身が取れる具体的な一歩を3つに整理しました。shift-aiの分析が指摘する「技術以前の課題」の視点とも重なりますが、私たちはこれを経営層の行動として捉え直しています。
| 一歩 | やること | ありがちな誤り |
|---|---|---|
| ① コミットする | 自分が使う場を1つ作る(週次会議の議事録整理など) | 「現場に任せる」で自分は触らない |
| ② 業務目線で目的を決める | 「どの業務の、どの数字を変えたいか」を1文で言える状態にする | 「AIを入れること」自体が目的になる |
| ③ 小さく始めて自分の目で見る | 1部署・1業務に絞り、動くものを実際に見る場を作る | 全社導入計画を先に作ろうとする |
この3つに共通するのは、「経営層自身が当事者になる」という点です。①のコミットについては、「そんな時間はない」と感じる経営者も少なくないはずです。ですが、私たちの経験では、週次会議の議事録整理や、メールの一次仕分けといった、経営層自身が日常的に触れる業務から始めるのが最も定着しやすいという印象があります。自分が使って便利だと感じたものは、部下に勧めるときの説得力も自然と増します。
②の目的設定は、note.comで紹介されている「7つの壁」の中でも「社長が分かってくれない」という壁として言及されている論点と表裏一体です。目的が業務目線で言語化されていないと、経営層自身も部下も「何を評価基準にすればいいか」が分からなくなります。
経営層が動いた瞬間、現場のスピードは変わる
経営層が最初の一歩を踏み出すと、現場のスピードは驚くほど変わります。私たちが公開している導入事例の一つに、中堅の建設業のケースがあります。経営層が業務の棚卸しに合意した時点から、ヒアリング資料をもとにAIが業務フロー・改善案・ROI・省力化投資補助金の申請書類のたたき台までを一気に可視化するところまで進みました。これは、私たちが提供している無償の業務プロセス診断(BPR)そのものの実例です。経営層が「まず現状を見る」と決めるだけで、着手から数字が出るまでの距離が一気に縮まります。
別の公開事例では、ある中堅医療法人の看護部門で、33名分・1ヶ月分のシフトを数秒で自動生成する仕組みを構築しました。夜勤や月180時間上限といった現場ルールを踏まえた設計です。この案件が早く進んだ理由は、技術的な難易度が低かったからではありません。経営層が「シフト作成に管理職の時間が奪われている」という課題を自分の言葉で認識し、投資判断を早期に下したからです。私たちの現場経験では、技術の難易度よりも、経営層が課題を自分の言葉で説明できるかどうかの方が、導入スピードに直結します。
いずれの事例でも、着手から数週間で「動くもの」が現場に届いています。経営層が判断を先送りしなかったことが、このスピードを生んだ最大の要因だったと私たちは見ています。
「方針・体制なし」の85.7%は珍しくない——診断前提で始めるという発想
ここまで読んで「うちも同じ状態だ」と感じた方もいるかもしれません。ですが、誤解のないように言えば、方針も体制もない状態は、決して特殊なことではありません。むしろ、代表・役員がAIを使っていない企業の85.7%がこの状態にあるという調査結果からすれば、これは「普通の状態」です。
問題は、方針・体制がないこと自体ではなく、それを放置して次の一歩を決められないことにあります。私たちがAI-Pathで無償の業務プロセス診断(BPR)を実施しているのは、まさにこの「次の一歩」を、経営層自身が判断できる材料に変えるためです。現状の業務フローをヒアリングから整理し、どこにAIが効くか、どのくらいの投資対効果が見込めるかを、たたき台の形で可視化します。方針が「ない」ことを前提に、そこから一緒に作っていくというアプローチです。
私たちの現場経験から見えること
私たちの現場経験では、経営層のAI理解不足を「意識の問題」として片付けてしまうと、話が前に進みません。意識を変えるのではなく、腹落ちする体験を作ることの方が、はるかに効果的だからです。
ここは意見が分かれるところですが、私たちはAI研修や勉強会そのものに大きな価値を置いていません。ツールの使い方は動画教材で十分学べますし、世の中の講座は「講座になった時点で古い」というのが実感です。それよりも、経営層の目の前で、自社のデータを使って何が起きるかを見せる。この1回の体験の方が、10回の説明会よりも意思決定を前に進めます。
もう一つ、私たちがFDEとして大切にしているのは、AIを「壁打ち相手」として扱うことです。AIが出した提案をそのまま実行するのではなく、経営層自身が「これは使える」「これは違う」と判断し、削っていく。この判断のプロセスに経営層自身が参加することで、初めてAIが「自分たちの会社の道具」になります。判断を人間が担うという前提があるからこそ、経営層も安心して一歩を踏み出せるのだと、私たちは考えています。
よくある質問
Q. 経営層がAIに詳しくなくても、腹落ちは作れますか? できます。むしろ詳しくない経営者の方が、動くものを見た瞬間の反応が大きい傾向があります。専門知識よりも、自社のデータで動く様子を見る体験の方が、判断のスピードを大きく左右します。
Q. 現場から経営層にAI活用を提案するには、どうすればいいですか? 説明資料を作るより、小さく動くものを見せる方が効果的です。私たちの経験では、1つの業務に絞ったデモを見せると、資料10ページより早く反応が返ってきます。
Q. 方針も体制もない状態から、何を最初にやればいいですか? まず現状の業務を棚卸しすることをお勧めします。方針を先に決めようとすると議論が長引きがちです。私たちが実施している無償の業務プロセス診断(BPR)のように、現状整理から入る方が、経営層も判断しやすくなります。
Q. 経営層がAIに時間を使うことに抵抗がある場合はどうしますか? 週次会議の議事録整理や資料のたたき台作成など、すでに時間を使っている業務にAIを重ねる形から始めるのが現実的です。新しく時間を作るのではなく、今ある時間の使い方を変える発想です。
まず試すなら
- 経営層自身が触れる業務を1つ決める——週次会議の議事録整理やメールの一次仕分けなど、日常的に発生する業務から選びます。
- 「どの業務の、どの数字を変えたいか」を1文で言語化する——目的が曖昧なまま進めると、後の判断基準がぶれます。
- 自社のデータで動く小さなデモを1回見る場を作る——資料での説明ではなく、実際に動く様子を見ることが腹落ちへの最短ルートです。
どこから手を付ければよいか判断がつかない場合は、AI-Pathでは無償の業務プロセス診断(BPR)を実施しています。現状の業務を一緒に棚卸しし、経営層が判断しやすい形でたたき台を作ることから始められます。
参考リンク
櫻井 文雄(さくらい ふみお) 株式会社AI-Path 代表取締役CEO
関西大学法学部法律学科卒業。財務コンサルティング会社(エフアンドエム)、外資系生保営業(Prudential)でコンサルティング営業の経験を積んだ後、起業し様々な企業のCTO/CMOを歴任。その後、デロイトトーマツコンサルティング(Big4)、ABEJA(AI研究開発の国内リーディングカンパニー)にて官公庁・製造業・金融業・小売業・不動産業を中心に延べ20社以上のDX推進や業務システム刷新をPM/SMとしてリード。利用者目線での現場の課題解決にフォーカスしたものづくりに拘り、導入ではなく「定着化」を目的とした伴走型のプロジェクト推進・システム導入を得意とする。2025年にAI駆動開発(VibeCoding)と出会い、より多くの人・企業に価値提供するためにAI-Pathを創業。
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